Asahi.com抜粋
2005年8月21日「堅い守り」と「選手の起用術」。駒大苫小牧連覇を、香田誉士史監督の戦略が支えた。
今大会、決勝まで無失策。5点差をひっくり返された鳴門工(徳島)の高橋広監督が「守れるか守れないかが勝敗を分けた」という堅守は、雪国のハンディを逆手にとった練習が生んだ。
北海道苫小牧市にある同校のグラウンドは冬の間、雪に閉ざされる。だが、香田監督は「感覚を鈍らせないように」と、外で打球を追わせた。
除雪してつるつるに凍ったグラウンドでノックを受けた。打球は加速し、不規則に飛ぶ。二塁手の林裕也君は「あれで多少のイレギュラーは問題なくなった」。雪上練習は甲子園5試合で2失策の堅守に結実する。
「次」を見据えた起用術も光った。昨夏のベンチ入りは18人のうち6人が2年生。サイクル安打した林君が主将としてチームを引っ張り、五十嵐大君や辻寛人君らも攻守で活躍した。
今大会も2年生6人と1年生1人をベンチ入りさせた。2年生ながら4番の本間篤史君は「信頼してもらい、力になった。来年は自分たちの番」。5試合で4安打と実力は出し切れなかったが、香田監督には代えるそぶりもなかった。
昨夏に続く「三枚看板」の継投は他校の羨望(せんぼう)を集めた。準決勝の相手、大阪桐蔭の西谷浩一監督は「攻略に時間がかかった」。前の試合3本塁打の平田良介君は5打数無安打に終わった。
00年までは1人のエースに頼り「疲れても代えてやれなかった」。01年、選手権に駒を進めると、1回戦負けながら全道から選手が集まるようになった。監督は複数投手の育成に腐心した。
選手の精神面のケアにも心を砕いてきた。厳しくしかりつけた後は、付きっきりで指導する。気分転換にと地方大会前に川下りに出かけるなど、メリハリが利いていた。
やはり勝つためには、”秘策”があった
今大会、決勝まで無失策。5点差をひっくり返された鳴門工(徳島)の高橋広監督が「守れるか守れないかが勝敗を分けた」という堅守は、雪国のハンディを逆手にとった練習が生んだ。
北海道苫小牧市にある同校のグラウンドは冬の間、雪に閉ざされる。だが、香田監督は「感覚を鈍らせないように」と、外で打球を追わせた。
除雪してつるつるに凍ったグラウンドでノックを受けた。打球は加速し、不規則に飛ぶ。二塁手の林裕也君は「あれで多少のイレギュラーは問題なくなった」。雪上練習は甲子園5試合で2失策の堅守に結実する。
「次」を見据えた起用術も光った。昨夏のベンチ入りは18人のうち6人が2年生。サイクル安打した林君が主将としてチームを引っ張り、五十嵐大君や辻寛人君らも攻守で活躍した。
今大会も2年生6人と1年生1人をベンチ入りさせた。2年生ながら4番の本間篤史君は「信頼してもらい、力になった。来年は自分たちの番」。5試合で4安打と実力は出し切れなかったが、香田監督には代えるそぶりもなかった。
昨夏に続く「三枚看板」の継投は他校の羨望(せんぼう)を集めた。準決勝の相手、大阪桐蔭の西谷浩一監督は「攻略に時間がかかった」。前の試合3本塁打の平田良介君は5打数無安打に終わった。
00年までは1人のエースに頼り「疲れても代えてやれなかった」。01年、選手権に駒を進めると、1回戦負けながら全道から選手が集まるようになった。監督は複数投手の育成に腐心した。
選手の精神面のケアにも心を砕いてきた。厳しくしかりつけた後は、付きっきりで指導する。気分転換にと地方大会前に川下りに出かけるなど、メリハリが利いていた。
やはり勝つためには、”秘策”があった
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