日曜の朝からお勤め(祖母)。宗教なんて私は信用いたしません!!。でもしゃーないとか親はいうけど、死んだら皆一緒ですよ。
 ここは我慢してお念仏を唱えました(笑)。南無阿弥陀仏。
 ここの坊さんも少年野球していたので、(大学も佛大やし)野球の
話したかったのを抑えて供養。
 四国野球とお遍路合計60箇所巡礼ツアーでも行ないたいものですな〜。どこかの旅行会社はやるでしょうな〜とか思いつつ過す。

 さて昨日の講演会でのお話ですが、途中から僕もメモを取り始めたのでいまいちな部分がございますがお許しください。
 
 村上氏は、1940年代に山梨県で生まれたそうです(後輩に堀内(G監督))。高校は神奈川・法政二高校に進学。そこで過激な競争にさらされ、さらに先輩に柴田勲がいたことから目立たない存在でしたが、卒業後は南海に入団。
 プロ1年目は3試合投げて防御率も4点台だったのですが、2年目で米国留学の転機を掴む。(他に2人いて計3名で渡米。)
 その際に南海とSFジャイアンツとの間で「もし大リーグに昇格出来る選手がいたら、SFジャイアンツが1万ドルで契約できる」との条項があったそうです。
 そこで村上氏がなんと大リーグに昇格してしまい、南海とジャイアンツとの間で2重契約が発生して日米間のコミッショナー問題にまで発展してしまったそうです。
 大リーグでの活躍は周知の通りであります。
 帰国後は、南海〜阪神〜日ハムと渡り歩き、南海時代は3年連続2桁勝利を挙げるなどして活躍。
 引退後はスカウト(SFジャイアンツ極東担当)、NHK解説者などで活躍。
 本人の話では、野茂の活躍が印象に残っていて、ノーヒットノーランの試合を解説できたことに喜びを感じていらっしゃいました。
 あとは鉄人・カル・リプケン・JRの連続試合出場の途絶えた試合に球場に訪れて、「I think the time is lied」(この辺が潮時じゃないか)とカルが言ったエピソードを状況を踏まえて熱弁されていたのが印象に残りましたし、私も聞いていて心に響くものがありました。
 他にも、日米間の野球観の違いや球団運営や選手の年金問題まで幅広く話されていて、自称・人並み以上の野球マニアの僕も満足でした。
 
 日本の野球も転換期にあるのでこの中で新しい時代に合致した枠組みが出来てほしいというような事もおっしゃっていました。

 マッシ−村上。パイオニア精神をもった国際的な野球人です。
 氏のような方が、現代のプロ野球を創っていくのだと肌で感じました。
 縁遠い世界のお話でしたが、かなり勉強にはなりました。あと道上さんが話していて、球界人の人間模様がよくわかりました。普段ブラウン管越しにしかみえていない球界の世界が伝わりました。

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